【寄稿】
令和6年1月1日午後4時10分頃発生の能登半島地震の被災者の方々へ
令和6年1月9日
北光会東京支部
支部長 藤川長敏(C-S53)
北光会会員の皆様
“新年早々の夕方に発生した能登半島地震で被災されました皆様へ”
今年の年明けは暖冬で、その後に寒波が来るなどと言われておりましたが、その穏やかな天候に反するように、元日の夕方、マグニチュード(M)7.6という大地震が発生しました。またその直後には、羽田空港で日航機と海上保安庁の輸送機との衝突事故という思いもよらぬ大きな事故も発生し、大きな災害と事故で年が明けました。
私の記憶の中には、宮城沖地震(1978年6月: M7.4)、日本海中部地震(1983年5月: M7.7、阪神淡路大震災(1995年1月: M7.2)、そして東日本大震災(2011年3月: M9.0)がいずれも大きく残っております。いずれの地震発生の時も、私自身は現地には居りませんでしたが、東北出身ということもあって、東北での地震による惨禍の印象が強く残っています。
一方、震災後のほとんどの災害復旧に、仕事として関わってきました。阪神淡路大震災の直後には1月20日から神戸に移動して、復旧工事に足掛け1年3ヶ月従事しておりました。ポートターミナル駅や山陽塩屋駅の復旧に従事した記憶が鮮明です。また、東日本大震災の時には現地を3月末に踏査しましたが、地震に加え津波による被害があまりにも甚大で、我々 “土木屋” が手を出せるものでは無いと判断せざるを得ませんでした。たとえば、三陸自動車道のインターチェンジの復旧工事については、内陸部の工事はすぐに対応できたのですが、海岸の護岸復旧工事は震災後3年たってからやっと着工できたような状況で、この震災がいかに大きな災害であったが窺えます。
今回は、地震による津波の被害は今のところ必ずしも大きくないと報道されていますが、家屋の倒壊などが多く発生しており、多数の亡くなられた方や行方不明者についても報じられています。行方不明者の救出を第一とした、この倒壊家屋の一刻も早い片付けが優先されることは言うまでもありません。
今回の地震で亡くなられた方々にはご冥福をお祈りしますとともに、被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。また、寒さの中で避難生活を送られている方々も多く、一日も早い復旧を願ってやみません。東海北陸支部の会員の皆様がご無事でおられますことを願っております。最後になりますが、我々北光会員がお役に立てることがあれば、応援いたしますので遠慮なくお声がけいただきたく思います。