この2枚のスケッチ、①「秋田大学本部及鉱山学部(36.12.13)」、②「八橋油田から見たや太平山(37.4.17)」とそれぞれのスケッチに添えられた各2首、計4首の短歌は、私が鉱山学部創立50周年記念事業の募金活動に従事し、式典と募金の目途が立ち、再就職する時に、当時の渡邊萬次郎学長から贈られたものです。
渡邊学長はスケッチがたいへん上手で、秋田や仙台の風景等を沢山残されていますが、上京されても気が向けば都心のビルの角に座り込み、いつもカバンの中から既成のハガキを取り出しスケッチをされておりました。道行く人は、「どこのオヤジか?」と怪訝な顔をして、覗き込んでいたようです。
この2枚は60年近く私の書斎に飾られ、青春時代を思い出させ、私を咤激励してくれたスケッチです。時代が流れ、これらの短歌とスケッチを見ても郷愁に浸る人も少なくなって来ました。私の宝物を諸先輩方や後輩の皆さんに見て欲しいと思う今日この頃です。【石松 剛(B-S32)】
【編集者註】
渡邊萬次郎先生(1891.7.2~1980.3.20)
( https://www.akita-u.ac.jp/honbu/info/in_president_old.html より )
福島中学(現福島県立福島高等学校)を経て、1913年東京師範学校を卒業、東北帝国大学地質学科へ入学。1916年卒業後、1921年同学助教授、1923年教授、鉱床学講座を担当。鉱床形成時の拡散現象による硫化鉱物形成に関する論文で理学博士の学位を取得。同学、評議員、理学部長などを歴任、1955年退職。1956年3月より、1966年2月まで10年間、秋田大学第2代学長を務めた。
学術面では、我が国の鉱床学の進展に多大なる寄与をし、学術論文約284編、著書58編。著書には、『金属鉱床学』(共立出版、1957年)、『鉱物と人類社会』(ラティス社、1968年)など。1967年に岩手県小晴鉱山から記載された新鉱物、萬次郎鉱 [ Manjiroite, (Na,K)Mn8O16・nH2O) ]は、渡邉先生のの業績を顕彰して命名されたものである。
【参考文献】 鉱山地質, Vol.30, pp.208~209 (1980)