【寄稿】女性天皇陵を訪ねて
私は、関西方面を旅行するたびに、余裕があれば天皇陵を訪ね歩いています。最近、女性天皇や女系天皇が話題になっている背景もあり、本稿では、過去の8人、10代の女性天皇がどのような理由で即位したかについて、とりわけ、子や孫と共に眠る2人の女性天皇について紹介します。
33代天皇で、最初の女性天皇である推古天皇の陵は、大阪府南河内郡太子町にあり、しかも近くに、皇太子として冠位十二階や十七条憲法を発布した聖徳太子(厩戸皇子)や遣隋使の小野妹子の墓陵もあります。推古天皇は生前厚葬を拒否し、子供の竹田皇子の墓に入れるように遺言を残したことから、今も、竹田皇子と一緒に静かに眠っています。
一方、37代の斉明天皇(皇極天皇の重祚(*1))の墓陵は、奈良県高市郡高取町にあります。墓陵では孫の建王と共に眠っています。建王は、話すことが不自由で夭折しましたが、天皇の寵愛を受けており、斉明天皇は、薨去(*2)を深く悲しみ自らの陵に合葬を命じていました。
この2人の墓陵を見たとき、天皇と云えども、女性として現在にも通じる母性愛を感じた次第です。女性天皇の即位は、その時々の「皇位の継承」を実行するために生じています。これから始まるであろう、女性天皇・女系天皇論の参考に述べました。(G-S34菊地芳朗)
【本稿は、2019年11月2日に開催された、東京支部一木北光会(第388回)での菊地氏による講演の概要をまとめたものです。写真は菊地氏による撮影】
写真1 推古天皇陵: 磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)
写真2 斉明天皇陵: 越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)
【編集者註】
*1 重祚(「ちょうそ」または「じゅうそ」)とは、一度退位した天皇が再び即位すること。
*2 薨去(こうきょ)とは、親王または三位以上の人が亡くなること。